大佐 彩子
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ASIAN PERSONALITIES
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7/27 (火)
~8/2 (月)
10:00~19:00(最終日は16:00まで)
会期中無休
写真展内容
作者は、彼らのファッションにアイデンティティが表現されると思っていた。ところがレンズ越しに見る被写体の表情に、ただただ釘付けになった。作者は何か得体の知れないオーラにかき消され、気付くと夢中でシャッターを押していた。
足の裏から頭の先まで、筋肉や皮膚、神経といった構成される肉体の全てが彼らの目に集約されていた。年齢も性別も関係なく、誰もが力強く、決して同じではなかった。作者はそれこそがアイデンティティであり、生きていることそのものだと感じた。
なぜこんなにも強く惹かれるのか? なぜこんなに強い目を持っているのか?
作者は彼らの背景を何も知らない。けれども多くの人は経済的に豊かであるとは言えなかった。生まれ持った民族を生き、環境も、家族も、他人をも受け入れる。しかし、それは決して受け身ではなく、自己に真っ直ぐで、与えられた生活の最大限をしっかりと生きているように見えた。
自分の過去を信じ、同じように明日や未来を「無抵抗」に信じる力が、彼ら自身のアイデンティティを築き上げていた。そうした生きる力が肉体的に表現され、作者に注がれた時、もはや洋服や民族衣装は脇役でしかなかった。
どのような事情でどのように装いを選ぼうと、これから先も彼らのアイデンティティが消えることはないだろう。カラー40点。
作者のプロフィール
大佐 彩子(オオサ アヤコ)
1985年京都生まれ。2009年日本写真芸術専門学校卒業。現在同校研究科在学中。
全日本写真連盟
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全日本写真展2010
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8/3 (火)
~8/9 (月)
10:00~19:00(最終日は16:00まで)
会期中無休
写真展内容
38回目を迎えた「全日本写真展 2010」のテーマは、身のまわりの暮らしや風俗、人間の営み、政治経済に至るまで、“あなたのセンスで現代を切り撮ろう”である。
展示する作品には、変貌する都市や農村、地方に残る昔ながらの暮らしなど、全日本写真連盟の会員をはじめとする全国のアマチュアカメラマンや高校生が、足で歩いて捜し出した“現代のひとコマ”が写し出されている。
全日本写真展は、「国際写真サロン」、「日本の自然」とともに全日本写真連盟が主催する代表的な公募写真コンテストで、一般の部、高校生の部の2部門に分けている。本作品展では入賞作品一般の部113点、高校生の部44点の合わせて157点を展示する。なお、入賞作品集を制作し、記録として残している。
本写真展は新宿ニコンサロンでの開催後、本年10月21日(木)~10月27日(水)、大阪ニコンサロンにおいても開催し、その後全国の主要都市を巡回する。
団体のプロフィール
全日本写真連盟は1926年(大正15年)に創設され、朝日新聞社が後援する全国的な組織で、現在約2万人の会員を擁する写真愛好家の団体である。
小林 惠
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セイダッカ族・昭和の記憶
櫻と川中島 二つの村で
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8/10 (火)
~8/23 (月)
10:00~19:00(最終日は16:00まで)
8/15 (日)、8/16 (月) 休館
写真展内容
清国から割譲を受けた台湾統治は、幾多の小競り合いも武力で制圧しながら山地資源(木材、樟脳)を求めて原住民の居住区山間部に進展していった。植民地政策も順調に思えた1930年10月、中央部の高地・霧社で抗日事件が起こった。マヘボ社(部落)の頭目モーナ・ルダオ率いる武装した壮丁が警察派出所を襲撃、そして日本人学校の運動会に乱入し日本人134名を殺害した、いわゆる『霧社事件』である。
この一帯に居住するセイダッカ族は3群(タックダヤ・タウッア・トロック)に分かれ、その中のタックダヤ群(霧社周辺11社)のマヘボ社を含む6社が周到に準備して蜂起した。その理由は、日本人警察官への不満、労役不振などが要因だったといわれている。(警察官が、行政・教育すべて担っていた)
鎮圧には警察・軍隊が出動、空からは毒ガスが投下された。また蜂起した『兇蕃』を良く思っていない社の壮丁を『味方蕃』として、投降者とその家族の収容所を襲撃させ、殲滅をはかる『第二霧社事件』があった。蜂起6社の人口1236名中、残ったのは女・子供・年寄りでわずか298名だった(※)。抗日遺族は山を越えた川中島に隔離移住、蜂起6社の土地は『味方蕃』に褒賞として分配され、櫻(ホーゴ社)にはタウッア社の衆が移住した。
時代が過ぎ、太平洋戦争が勃発すると櫻、川中島からも多くの志願兵が皇軍兵士として南方へ出征した。
これらの記録は、移住地清流(旧川中島)部落と、かつてのタッグダヤの故郷だった春陽(旧櫻)部落を訪ねた、それぞれに語り継がれる歴史のシークエンス、日々の光景である。モノクロ約60点。
※)日本機関紙出版センター『抗日霧社事件の人々』トウ相楊著のデータ
作者のプロフィール
小林 惠(コバヤシ ケイ)
1948年香川県豊島生まれ。日本写真専門学校卒業。写真家棚橋紫水氏に師事。広告代理店、児童養護施設へ勤務の後、フリーで写真活動を行う。日本写真家協会会員。
写真展に、74年「この子供たちの奪われたものは」、94年「小さな島を渡る風」(以上、銀座ニコンサロン。「小さな島を渡る風」は、屋島・石蔵ギャラリーなど20数ヶ所巡回)、99年「咲く桜」(新宿ニコンサロン)、2003年「日々あらたなり」(コニカプラザ新宿)、04年「過ぎしかの日」(銀座ニコンサロン)、06年「臺灣島の記憶」(コニカミノルタプラザ新宿)、08年「光の祝祭」(津田塾大学・津田梅子記念館)、静岡県立美術館フォトセッションでのグループ展への参加などのほか、個展、グループ展など多数行っている。
写真集に『心の島』(鯨吼社)、『光の祝祭』(小塩節氏共著・日本キリスト教団出版局)があるほか、書籍『銀色のあしあと』(いのちのことば社・講談社)、『フットノート』(小学館)の写真を担当している。
高橋 あい
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ヤマ・ムラ・ノラ 子どもたちの 未来の子どもへ
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8/24 (火)
~8/30 (月)
10:00~19:00(最終日は16:00まで)
会期中無休
写真展内容
松山市から車で1時間、西日本最高峰石鎚山の麓に位置する愛媛県久万高原町は、平均標高800mと山深く、四国の中でも珍しく雪の降る地域にあたる。数年前までは、林業を主な産業として賑わっていたが、「平成の大合併」と呼ばれる5年前の町村合併や国産木材価格暴落に伴い、仕事が減り、土地離れをする住民は少なくない。
植林を施された久万の「山」は人間のエネルギーで作られた「山」である。ネイティブアメリカンの教えに「風景というのは、出来事なのだ」という言葉がある。その出来事は体感として伝わってくる。人々は山と共に暮らし、風景を作ってきたのだ。観光地だと旗をあげなくても、流れ星が流れ、ホタルが飛び交う。この土地に住む人にとっては当たり前の光の流れに、作者は何度も立ち止まった。
秋祭りやお正月に、帰る場所のあることの温かさは何にも代え難いものである。作者はその温かさが永劫であることを願ってやまない。写真に写される風景と写らなかった風景を土地の人に尋ねながら、土地の実相を知りたいと思っている。
なお、展示する作品は久万高原町立美術館2009年度自主企画展「帰去来今」展(出展者:萱原里砂・笹岡啓子・高橋あい)のために制作および発表した作品をもとに制作したシリーズである。
作者のプロフィール
高橋 あい(タカハシ アイ)
1980年東京生まれ。2003年多摩美術大学美術学部情報デザイン学科卒業。ギャラリー(イル・テンポ)、多摩美術大学情報デザイン学科研究室勤務を経て、08年東京藝術大学大学院先端芸術表現専攻に在籍(10年3月修了)。写真の他に、ドキュメンタリー映画や舞台の制作も行う。知的障害者と健常者のグループ「がやがや」での活動として、08年度明治安田生命支援事業・エイブル・アートオンステージにて、鶴見幸代・山田珠実・小島希里らとともに舞台作品を発表。また、08年より映画「久高オデッセイ生章」の演出助手を務めたことをきっかけに沖縄県の取材を始める。現在は沖縄大学地域研究所特別研究員として沖縄県久高島やアイヌ文化の撮影を継続して行っている。
作品は、二人展「私展―淡い光の中で」(PLACE M)、グループ展「をちこち」(多摩美術大学)などで発表している。
鷲尾 倫夫
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望郷・エトセトラ
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8/31 (火)
~9/13 (月)
10:00~19:00(最終日は16:00まで)
会期中無休
写真展内容
人の生きてきた時間の歴史は奥深い。人を傷つけ、自分にも重い傷みを背負いながら、時の流れに逆らいもせず、栄光時代を支えに静かに生きている人達。
刻み込まれた影の部分を光の中に晒し、失った大切なものをとり戻すかのように、望郷の念を織りまぜ、彼は柔らかな口調で語り始める。話が進むに従って、作者は想像もできない世界の渦に巻き込まれて聞き続けた。『クニ』に帰りたい。が、帰れない。ふるさとは遠いよ。といって言葉を結んだ。
後日、その彼にスーツ姿の写真を頼まれた。出来上がった数枚を持って訪ねた。ノックをしたが返事はない。ドアに手を掛け、引くと開いた。すると煙が立ち揺らぎ、一気に流れでてきた。彼は正座していた。灰皿に二本のタバコを立て、背を丸め、手を合わせていた。作者に気付くと、作者の顔をじっと見て、つまった声でオフクロが死んだといった。いつと聞くと先月。兄貴は知らせてくれなかった。と震え声でいった。その目に涙がたまっていた。作者は何も云えず、万年床に写真を置いて立ち去るしかなかった。
それから数日して彼は突然、誰にも看取られず三畳の部屋で死んでいたと、彼らのふるさとを歩いている旅先に知らせがあった。モノクロ46点。
作者のプロフィール
鷲尾 倫夫(ワシオ ミチオ)
1941年東京都生まれ。60年愛知県国立高浜海員学校修了。東洋海運(合併後新栄船舶)入社。72年退職。73年日本写真学園研究科卒業。81年「FOCUS」編集部専属カメラマン(新潮社)20年在籍。83年日本写真学園主任講師。91年伊奈信男特別賞受賞。96年編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞受賞。
写真展に、72年「東アフリカ・マガディン村の人々」「そのままで、君たちは」(以上、新宿ニコンサロン)、76年「日々一生」、77年「寿町えれじぃ」、80年「冠婚葬祭」、81年「顔・エトセトラ」(以上、銀座ニコンサロン)、同(大阪ニコンサロン)、84年「ヨボセヨ」、86年「ヨボセヨII」、89年「原色の町 ソウル84―88年」、91年「1977年―13年―1991年 エトセトラ」、94年「顔・エトセトラII」、98年「韓国」(以上、銀座ニコンサロン)、2003年「ソウル・シティ」(PLACE M)、04年「野球人」(ギャラリーコスモス)、07年「原色のソナタ」(PLACE M)、09年「写・写・流転」(新宿ニコンサロン)などがある。
写真集に、90年『原色の町』((株)アイピーシー)、2000年『写真』、07年『THE SNAP SHOT』(以上、ワイズ出版)、08年『原色のソナタ 1992~95 SEOUL』(PLACE M)などがある。