写真展内容
「知っておかなければならないのは、自分は何も知らないということ。自分はいつも手探りで歩いているということ」
カメラは認識の手段であるという先達のことばと写真に励まされて2年間過ごした学生たちの成果から選抜した作品展である。
銀塩写真、デジタル写真と方法の多様化で学ばなければならないことが増えており、自分に最もふさわしい表現手段として考え、選んだ方法で表現した写真から、彼らの冒険や奮闘をうかがい知ることができる。
カラー150点・モノクロ50点(予定)
「知っておかなければならないのは、自分は何も知らないということ。自分はいつも手探りで歩いているということ」
カメラは認識の手段であるという先達のことばと写真に励まされて2年間過ごした学生たちの成果から選抜した作品展である。
銀塩写真、デジタル写真と方法の多様化で学ばなければならないことが増えており、自分に最もふさわしい表現手段として考え、選んだ方法で表現した写真から、彼らの冒険や奮闘をうかがい知ることができる。
カラー150点・モノクロ50点(予定)
作者は、牛小屋と豚小屋に挟まれた家で、鳴き声やいびきを聞き、飼料や糞尿のにおいを感じながら生きてきた。作者の両親は毎日この牛小屋と豚小屋で働き、牛に蹴られてよく怪我をしていた。
小学生の頃、同級生たちが授業の一環として、作者の家に見学に来た。ひとりの子が「かわいそう」と言った。作者少し傷ついた。作者も感じていたことだったからである。「じゃあ、あなたは牛乳飲まないの? お肉は食べないの?」と返すだけでは、作者の心の中の小さな痛みへの解答にはならない。
それから作者は、ずっと考えた。
しかし作者は、同時に両親が牛を可愛がっているところも見てきた。作者は子牛が産まれるとうれしくて、ブラッシングしたり、ミルクをあげたりしたが、名前はつけなかった。ペットとは違うと解っていたからである。1ヶ月後には別れがくる。泣きもせず、ただ別れるだけ。彼らがこれからおいしい肉になるため、別の農場で育てられていく。ひどい生活を牛や豚にさせていることも、作者にはわかっていた。
作者はとても矛盾していると思う。自分たちの欲望のため、積み重ねられた膨大な時間、たくさんの血、汗、命、寂しさ。何もいわずに、ただひっそりと佇んでいるのを感じながら、矛盾した痛みは固まって、小石のように転がったり、つかえたりする。
モノクロ。
飯島 望美(イイジマ ノゾミ)
1979年埼玉県生まれ。2004年プレイスM(初心者コース)にて中居裕恭氏に暗室作業を学ぶ。
深夜の風景に、惑星を感じる。
最終バスを降りた深夜1時。微かに光り続ける青白い街灯や、通りがかるものにスポットライトをあてる防犯用センサーライトの人工光が、子どものころ真夜中に見た近未来映画のワンシーンを思い出させる。ガソリンスタンドの点滅するLED看板に照らされる枯れた花や、目の前を走り抜ける黒猫から銀河鉄道の宇宙世界へとつながる。それらは作者をどことなく不安にさせながら物語を進めいていく。
宇宙を想像しながら、今日も深夜のバス停から家に帰る。
カラー。
松本 孝一(マツモト コウイチ)
1976年東京生まれ。2008年より須田一政ワークショップに参加。01年コニカフォトプレミオ特別賞受賞。09年富士フォトサロン新人賞奨励賞受賞。
写真展に、00年「REMENBER ME?」(新宿コニカプラザ)などがある。
シャッターを切った瞬間から、風景は作者を離れ始め、写真に収められた風景は、もう二度と作者の目の前に同じ姿を現すことはない。
作者が見ていた風景が本当にそのありさまであったかどうかも疑わしく、そこにいたはずの作者自身さえあやふやになってゆく。しかし、写真に記録された風景は、作者のあやふやになった記憶をおぎない、作者の見ていたであろう光景をたしかに定着させる。
今ここにある写真以外、たしかなものは何もない。
モノクロ。
村越 としや(ムラコシ トシヤ)
1980年福島県須賀川市生まれ。文化服装学院中退。日本写真芸術専門学校卒業。
主な写真展に、2006年「あめふり」(プレイスM)、08年「timelessness」(コニカミノルタプラザ)、その他都内を中心に個展、グループ展を開催。著作に、06年「あめふり」、08年「草をふむ音」(以上、蒼穹舎刊)、09年「浮雲」(TAP刊)などがある。
作者の中で「写真」というのは、自分の「記憶」である。
作者は、祖母が病気になった時、いつしか祖母もいなくなってしまうと感じた。今まで当たり前に存在していた彼女がいなくなってしまう。そう思った時に、大切な人との「今」を「記憶」に残したいと思い、彼女の生活を撮り始めた。
彼女のあらゆる表情やボケてしまった彼女の行動をカメラごしに「記憶」していく。
人は永遠には生きられない。だからこそ作者は「今」を「記憶」する。
カラー。
小野 淳也(オノ ジュンヤ)
1987年岡山県生まれ。現在日本大学芸術学部写真学科4年生。
作者は、幼少の頃から馴染み深い播磨灘を中心に、自宅から日帰りで行ける範囲――西は赤穂御崎から東は芦屋、西宮、南は淡路島南端あたりまでの海沿いを、愛用の二眼レフを首から下げて歩いてきた。
瀬戸内でも特に開発の進んだこのあたりでは、海辺といっても海岸線の多くは工業地帯で占められ、すぐ後ろまで街が迫っていて、風光明媚とはほとんど縁がない。
しかしそんな街の喧噪を後に、道を一本渡っただけで違った世界に足を踏み入れた気分になることもある。街を構成している見慣れた部品の一つ一つが、海を背景にして妙に不調和に、それでいて魅力的に見えてきたりもする。
本展では、そんな風景を求めて、海沿いの道を歩いて撮影した作品を展示する。
カラー50点。
井上 雅史(イノウエ マサフミ)
1956年生まれ。
写真展(個展)に、88年「地上の眺め」(フォトギャラリーFROG/東京)、91年「都市周遊」(リトルギャラリー/大阪)、96年「海沿いに」(ギャラリー温々/さいたま市)があり、78~2008年にかけてグループ展「PHOTO STREET SUPER SESSION No.1~29」(姫路市)などがある。