2010年1月 |
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第34回伊奈信男賞受賞作品展 太田 順一展 |
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1/5 (火)~1/13 (水) 11:00~19:00(最終日は15:00まで) 会期中無休 <写真展内容> 作者の父親が遺した日記である。 夫人に先立たれてひとり暮らしを余儀なくされた頃からつけ始め、87歳で逝くまでの20年間、毎日欠かさず書いていた。性格そのままに、小さな文字でびっしりと。 何の趣味もなくこつこつと働いてきた昔式の人間であったから、内容は何をつくって食べたとか、テレビで見た何がどうであったとか、凡庸なものだが、端々にひとりで老いていくことへの不安が漏れ出ていて、だからこそ人に迷惑をかけぬよう達者であらねばと、人一倍健康を気遣っているさまが記されている。 亡くなる2年前、認知症(痴呆症)のこともあって老人施設に入った。本人にとって入所は不本意であったようで、そのときを境に日記は錯乱したものにと変わる。ページは汚され、殴り書きがなされ、偏執的に同じ文言、記述が繰り返されていく。 日記は、父親の脳を襲った嵐のその痕跡なのだろう。人はこのようにして老い、死んでいくと知らされた。遠からず訪れる作者自身の姿を見る思いの作品である。 モノクロ47点。 |
<授賞理由> 今回、5人の審査員が各々推薦してきた候補作品は、見事にばらばらだった。それぞれ力強い独自性をもった写真表現は、どれもが受賞に相応しいものに思えた。だが同時に、それらを同じ土俵の上に乗せて論じることは、到底不可能なことのようにも思えた。この「多様性」と伊奈信男賞ひいては「写真」というただ一つの言葉を、どう調停させればよいのかという現代的な問題を共有するところから、議論は始められなければならなかった。その後、二度に亘る再投票と長い話し合いの末、全員の支持は次第に、太田順一氏の「父の日記」にまとまっていった。 認知症を患いながら逝った、氏の父上が遺した数冊の日記帳のページをカメラで複写したこの連作は、私たちに「写真を眺める」と言うよりは「文を読む」ことを強く促し、その点で視覚的な戸惑いを生じさせずにはおかない。だが、文面を目で追っているうちに、綴られた語の流れや文字のフォルムが崩れ始め、やがて苛立ちからなのか、強い筆圧のストロークが痕跡のように描かれ、ついには空白のページが現れるに至って、私たちはこの日記に、身体や時間といった、写真術における基本的な題材が、確かに存在していることを知る。この複写行為の底には、すべての写真が目指す世界の最奥部にある感覚、つまり、人間存在の有限性と唯一性を肯定するためにシャッターが切られるという、あの切実な感覚とまったく同じものが流れている。 「文の複写」と呼ぶと、手法面のみが強調されてしまうきらいがあるが、「父の日記」は、概念芸術に見られるような、形式に対する超越的、批評的態度とはあまり関係がない。むしろこの「複写」作品は、太田順一氏の長きに亘る個人的な写真実践から、内在的に、それ故に思い切って出現しているものだ。そしてそのことは、写真表現者が実践を通して獲得する「自由」の真の意味を、私たちに気付かせることになった。それが、この作品展が今年度の伊奈信男賞受賞に値すると、審査員たちが結論を出した理由である。 |
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第11回三木淳賞受賞作品展 Gim Eun Ji写真展 |
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1/14 (木)~1/27 (水) 11:00~19:00(最終日は15:00まで) 会期中無休 <写真展内容> 想像の世界を開くのは、ごく普通の生活空間にある些細な隙間である。 作者の作品は、作者の記憶が出発点。記憶というものがひとつのイメージを引きだし、作者はそれを再現する。そして作者の記憶に基づいて、作品を見る人を、見るものの世界と想像の世界を行き来させる。それは作者の生活のある一面を取り出し、作品に再現させることにより、馴染みあるもの、馴染みのないもの、また、事実とフィクションの世界を行き来させることである。 また、テーマと対象物を解釈する一次元的なアプローチを抜け出て、心理的なドラマを促進する語り手としての多次元的変化を導入することである。同時に、特定の感情、関連した情報が網のように織られていることから、湧き出てくるのである。 このことが私たちにもたらすものは、 ・快適ではない複雑な感情 ・肯定的、否定的な相対する感情 ・あるひとつの面に偏ることのできない複雑な感情の表現 ・傷つきやすい心 ・未来の心を投影する、際限のない普遍性 ・現代人の心理的貧弱さ ・概念と意味の漠然としたつながり のようなものである。 Etherというのは、光の波を運ぶ媒体というコンセプトである。アインシュタインの相対性理論の後では、このEtherは意味がない。この概念は、今では証明をする必要のない想像的なコンセプトである。 西洋では、Etherは新鮮できれいな空気に使われている。東洋では、中国の哲学者Dam Sa Dongの解釈は、Etherは世界に充満している細かい粒子で、五感では感じることができないもの。また、日本の岩井俊二監督の「All About Lily Chou Chou」という映画では、メンタリティの媒体としているようである。 また、Etherは、実際のものであり、世の中に存在することを可能にする光の媒体である。同時に、Etherは、閉ざされた心が他の人の心の音を聞く媒体でもある。 作者は、Etherが持つこの特性に関心をもっている。 作者の作品、それは日常の状況における不可思議な語り手として、想像力を刺激するものであり、これらの作品というものは、想像的な材料のコンセプトに基づいている。 作者のEtherは、現実的な世界に溢れている不可思議な想像や感情で、作者の作品の基礎となっている記憶が媒体となり、見る者の想像力をかきたてる。 |
<授賞理由> ごく普通の、誰もが見逃してしまいそうな繊細な瞬間にこそ想像の扉がそっと開くのかもしれない。イマジネーションの世界とは日常とかけ離れた特別な現実ではないとギム・ユンジ氏の写真は語りかけてくる。 彼女の作品は彼女自身の様々な記憶を出発点としている。記憶はあるイメージとともにたち現れる。そのイメージを手掛りに、そのイメージを膨らましたり、変形させたりしながら再現し、写真に撮る。そしてそうした記憶に基づいた彼女の生活のある断面が表現されることにより、見る者は、見ることと想像すること、日常と非日常、さらには事実と虚構の間を微妙に揺れ動く。 彼女の作品は一元的な、一つの視点からの見方を拒否する方向を常に抱えている。テーマや被写体について解釈するアプローチを拒み、いくつもの関係が交錯した一種の心理的なドラマへ、現実とフィクションが綴れ織りのように複雑に織り込まれた新たな次元へと見る者を誘ってゆくのだ。写真の新しい想像力を指ししめそうとする意欲作である。 |
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下瀬 信雄展 |
1/28 (木)~2/3 (水) 11:00~19:00(最終日は15:00まで) 会期中無休 |
<写真展内容> シリーズ「風の中の日々」は、1989年新宿ニコンサロンにおいて1回目の写真展を開催してから、今回が4回目となる。 作者のシリーズものは主にモノクローム作品だが、今回は、77年に初めて開催した写真展「萩」以来32年ぶりのカラー作品である。 もっとも、「風の中の日々」は街の風景や子育ての合間のスナップなどがテーマなので、いつも作者の肩にあったカメラに入っていたトライXやフジクローム、今ではデジタルカメラに依存していて、とくにカラーやモノクロを意識して写してきた訳ではないという。モノクロームで始めたのは、最初の頃はトライXが一番安かったからで、それでも入っているフィルムやメディアによって写すものは微妙に変わってきたという。 日常の些事がエッセイになるように、斜光が何かを浮かび上がらせて「写真展」になった。そしてそれは又、作者にとってはかけがえのない記録になっているという。 カラー80点。 |
<作者のプロフィール> 下瀬 信雄(シモセ ノブオ) 1944年満州国新京市生まれ。67年東京綜合写真専門学校卒業。以後、萩市を拠点に作品を発表。80年杉道助記念萩市芸術文化奨励賞、88年山口県芸術文化振興奨励賞、90年日本写真協会新人賞、98年山口県文化功労賞、2004年山口県選奨、05年伊奈信男賞受賞。 写真展に、77年「萩」をはじめ、現在まで「風の中の日々」「凪のとき」「結界」シリーズを銀座ニコンサロン・新宿ニコンサロンなどで12回開催。 |