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Japan
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juna21
John Sypal展 [Gaijin Like Me]
西岡 寛子展 [愛のかたち ~大切なものが手の上にあるとすれば~]

12/4 (木)~12/10 (水)
11:00~19:00(最終日は15:00まで)
会期中無休




[Gaijin Like Me]

<John Sypal展>
一般的な日本文化において「ガイジン」と聞いて思い浮かべるのは、教養がありそうな、金髪に青い目の白人男性というイメージのようだ。
日本には連日多くの外国人がやってくるが、彼らの手にはこの国での体験を記録に残すべくカメラが携えられている。
「ガイジン」としての日本での生活は、日本の社会標準に捕らわれることのない一定の自由を約束してくれる。彼らの多くは、そこから思いがけず手に入れた今までの生活にはない人気者としての地位を楽しむことになる。文化的にも言語的にもほどよく無知であることで手にできる不思議なレンズ、そのレンズによって、母国から遠く離れた東洋の文化の中に彼らは暮らすことができるのである。自国では無意味な存在だった連中が、その存在にようやく意味を見出せたような気分に浸る。それぞれが「自分だけの特別な東京」を手に入れることができるのである。
周囲にもてはやされるという新しい感覚によって、自分は特別な存在なんだと錯覚してしまう……ガイジン体験の大部分を成り立たせているのが、この感覚である。自分が際立った存在であるというある種のエリート意識に暗雲が立ち込めるのが、別のガイジンと道で出くわし目を合わせた時である。二人のガイジンの間では、二つの「ガイジンの視線」が交錯する瞬間が訪れるのである。
自分以外の外人の存在に気づき、自分が結局それほど特別な存在ではないのかもしれないという現実に遭遇したとき、そこに表れるのは動揺である。本展で展示する作品の「外人の視線」は、平均的な日本人が決して気づくことのない不思議な現象だといえる。
彼らガイジンの表情がどれも一様であることも奇妙だ。その表情の奥には邪推、嫌悪、もしかすると多少の失望が見て取れるかもしれない。おもしろいのは彼らからこうした視線を受けるのは、作者がカメラを手にしている時に限らないという点である。
非日本人というこの特定の集団に、作者自身も当てはまるのは当然ながら明らかである。このようなガイジンの視線に幾度となく出会ってから、作者は自分自身も属するその集団から一歩下がった視点で、彼らにレンズを向けてみようと決めた。彼らの写真を撮ることは、日本に暮らす作者自身の存在を理解するアプローチの一手段となったという。



<作者のプロフィール>
John Sypal(ジョン サイパル)
1979年米国ネブラスカ州生まれ。2003年ネブラスカ大学卒業。04年千葉県松戸市に移住。
写真展に、03年「Nihonjin, The Japanese」(ロタンダギャラリー/米国ネブラスカ州リンカーン市)、05年「Nebraska, The Good Life」(新宿ニコンサロン)、07年「The Difference Between」(コニカミノルタプラザ)などがある。





[愛のかたち ~大切なものが手の上にあるとすれば~]

<西岡 寛子展>
「あなたの大切なものが手の上にあるとすれば、どう形づくりますか? あなたの大切なものは何ですか?」
と問いかけ、写真を撮らせてもらっている。
目に見えない愛情というものを撮りたいと思ってはじめた撮影であったが、大切なものを守る手は、やさしかったり、力強かったり、さまざまであった。作者の「あなたの大切なものは何ですか」という問いかけが聞こえてくる。
1995年より作者は、同シリーズの写真を国内外において撮っている。



<作者のプロフィール>
西岡 寛子(ニシオカ ヒロコ)
1972年生まれ。京都女子大学短期大学部文科国語専攻卒業。OICP写真学校修了。
写真展に、96年、98年「愛のかたち」(The Third Gallery Aya/大阪)、97年「すべての写真」「12月に12人」(グループ展、セルフ・ソウ・アート・ギャラリー/大阪)などがある。
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