|
金子 友洋展 [Botany]
土屋 景子展 [猫のいる島]
久保 圭史展 [通り過ぎなかった光景]
岩瀬 菜美展 [夜の声]
8/2 (木)~8/7 (火)
10:00~18:00
会期中無休 |
|
|
[Botany]
<金子 友洋展>
無造作に、そしてお互いが複雑に絡み合いながら地表を覆う植物たち。そこにはドラマもなければ事件もなく、シャッターチャンスさえない。
作者は、ただ単に植物の茂る風景にレンズを向けてシャッターを切っていく。一歩進んでは撮り、また一歩進んでは撮る。ただひたすらに純粋な表層だけを、よけいな言葉が機能しなくなるまでフィルムに写す。モノクロ作品。 |
|
<作者のプロフィール>
金子 友洋(カネコ トモヒロ)
1979年埼玉県生まれ。2004年瀬戸正人氏のワークショップ“夜の写真学校”に参加。06年、写真展「Botany -無風帯-」(プレイスM)を開催。 |
|
|
[猫のいる島]
<土屋 景子展>
本土の港から島行きの船に乗ると、乗客のほとんどが島の人たちである。船中では大家族の中によそ者がひとりというような感じで、どことなく居心地が悪くなるが、島の人たちはそんなよそ者にごく自然に話しかけてきてくれたり、時には島の案内をしてくれたりする。
感じていた居心地の悪さは、次第に祖母の家に遊びに行ったときのような居心地のよさに変わっていった。そして作者はいろいろな島に行くたびに島の虜になっていった。
島はどこか懐かしい空気を持っている。その空気は人や家並み、さまざまなところから感じられ、作者にはその空気に自然と溶け込んでいる猫たちがとても魅力的に感じられた。ある猫は畑でなにをするでもなくそこにいたり、またある猫は二匹で寄り添って日向ぼっこをしていたり。
なにげない猫の仕草になにげない風景。出合ったことがあるようでないその時が感じられる。モノクロ作品。 |
|
<作者のプロフィール>
土屋 景子(ツチヤ ケイコ)
1984年名古屋市生まれ。2006年日本写真芸術専門学校卒業。 |
|
|
[通り過ぎなかった光景]
<久保 圭史展>
タイトルの意味するところは、作者の視界ではなく、感覚を通り過ぎていかなかった光景という程度の意味である。
作者が気に入っている撮影行為は、日々の中でなんとなく感覚に引っかかってくる光景を複写していくことだ。そして写真機を持っているときはいつも異邦人でありたいと願っている。
その地の人にしてみればいつもどおりのただの見慣れた日常であり、通り過ぎていってしまう光景であっても、異邦人であるときは、それらの光景に違和感を覚えることがある。また、その地の人は、そこには“美”は存在しないと信じ込んでいるかもしれない――つまり、あまりにもこの世界の光景に馴染み過ぎている、あるいは“美の定義”に知らず知らずに啓蒙されているために、多くの“美”を見落としているのではないだろうかと思うからである。
作者は思う。定義された“美”から解放されたとき、きっと街の隅々の光景から新しい息吹を受けることだろう。“美の再定義”の下では、“美”の存在比率は世界のどこもそれほど変わらないのだということを知るだろう。光景は平等なのだ、と。カラー作品。 |
|
<作者のプロフィール>
久保 圭史(クボ ケイシ)
1984年兵庫県生まれ。 |
|
|
[夜の声]
<岩瀬 菜美展>
今夜もカメラを持って歩く作者。ゆっくり、ゆっくり、いろんな事を考えながら、感じながら、思い出しながら、歩く。
夜の街を浮遊しながら、ずっと街で声をかけて撮っている。すると、街ですれちがっただけなのに、作者と同じ声を発してる人がなんとなくわかる。
写真に写りこんだ彼女達を見ると、作者はどこか自分に似ているような気がする。自分の分身を見ているような、なんだかセルフポートレイトみたいだ。作者は自分を写したいのかもしれない。
どこかに、合わせ鏡のような、作者自身と双児のような女の子はいないだろうかと願いながら、作者は今夜もまた撮りに行ってしまう。モノクロ作品。 |
|
<作者のプロフィール>
岩瀬 菜美(イワセ ナミ)
1980年埼玉県生まれ。2004年東京ビジュアルアーツ専門学校写真学科卒業。 |
|
|