Nikon Imaging
Japan
プレミアム会員 ニコンイメージング会員

大阪ニコンサロン


juna21
田代 一倫展 [浮憂世代]
堀木 吉矩展  [胸を張れるから]
干田 哲平展 [母と]
渥美 徳太郎展 [黒島]

9/28 (木)~10/3 (火)
10:00~18:00
会期中無休




[浮憂世代]

<写真展内容>
現実と将来への想いが交錯し、「社会」を意識し始める世代、それが高校生だと作者は思う。
街で見かける高校生たちは底抜けに明るく輝いて見える。しかし、彼らが一人になったときに見せるふとした表情からは、複雑な感情が伝わってくる。
作者はそんな彼ら一人一人と対話しながらレンズを向けた。そこで感じた彼らの誠実さや純粋な心は、かけがいのないものであった。
この感受性豊かな年代は、社会や周囲の状況を敏感に受け止めることを強く認識した。カラー40点。



<作者のプロフィール>
田代 一倫(タシロ カズトモ)
1980年福岡生まれ。2005年3月九州産業大学芸術学部写真学科卒業。4月同大学大学院芸術研究科写真専攻入学。




[胸を張れるから]

<写真展内容>
本展は作者の彼女を被写体に、本格的に撮り始めた頃から別れるまでの前半と、本格的に撮り始める前の、大きく2つの構成になっている。
作者の彼女は精神が不安定だった。複雑な家庭環境が大きな要因だった。
20代になっても彼女は「家族」に振り回されていて、状態は好転せず、薬を飲んで病院に運ばれ、入院した。
入院すると、家族のことを忘れられるせいか、入院中の彼女の写真はあまり緊張感がない。しかし退院後、彼女の不安定さは増して、自分の殻に入るような距離感もあり、静かな緊張感が続いた。
その緊張の糸が切れるように、別れを迎える。終わりの表情。
後半は、「写真にする」ということを意識する前の写真で、前半とは写真のテイストが変わる。
彼女と別れてから、それまでチョイスしていなかった写真のほうに、なんでもない日常の中の大切な瞬間や笑顔が写っていることに気づき、作者はその素朴な写真に救われる。そしてその素朴な写真が展開される。
人は失わないと大切なことが分からないのかもしれない。モノクロ36点。



<作者のプロフィール>
堀木 吉矩(ホリキ ヨシノリ)
1982年千葉県生まれ。




[母と]

<写真展内容>
一番<身近な存在>であるのは親であり、しかも男にとっては父親よりも母親のほうが<身近な存在>にあたると男である作者は思う。
男はみな、心のどこかで母親に似た女性を探しているのだろう。
作者の母親は50歳を超えた団塊世代の予備軍だが、そんなことは少しも感じさせない。その母親と共に過ごした時、母親と離れて過ごした時、作者が今まで生きてきたそれらの時間を、「母」と向き合い、たどっている。カラー22点。



<作者のプロフィール>
干田 哲平(ホシダ テッペイ)
1983年石川県生まれ。2002年大阪芸術大学芸術学部写真学科入学。06年卒業。




[黒島]

<写真展内容>
作者がテーマとして選んだ黒島は日本列島の南に弧を描く「琉球弧」の最南西端、八重山諸島の中の小さな島である。八重山諸島の主島である石垣島の南西約15kmに位置し、島の外周は約13km、面積約14km²のハート型をした小さな島である。
八重山諸島は「沖縄」という一地域として捉えられがちだが、沖縄本島地方の人々にとっては、同じ「琉球弧」に連なる八重山諸島も「先島」地方である。言語的にも文化的にも相違点は多く、各島々は独自の祭りや方言をもち、文化の多様性と奥深さには驚嘆させられる。
多くの離島や僻地がそうであるように、過去、そして現在においても島は多くの問題を抱え、苦難にさらされている。それでもそこに生きる人々の心は誇り高く美しい。
作者は一年を通して島に通って歴史や文化を学び、人々の生活に接して心に触れることができたという。このことは作者にとって大きな財産になったという。
戦後60年、私たちは経済至上主義の中で、物資という神のみを信じて走り続けてきた。その結果が現在の混沌と退廃であり、その現状を見つめ直すヒントがこの島の人々の心の中にあるように作者は感じる。
本展を通して作者は、写真家として視た黒島の「今」が島の人々の将来と、作品を鑑賞してくださる人々の未来に、より良い影響が及ぶことを期待している。モノクロ45点。



<作者のプロフィール>
渥美 徳太郎(アツミ トクタロウ)
1975年福岡生まれ。2002年3月九州産業大学芸術学部写真学科卒業。2004年4月同大学大学院芸術研究科写真専攻入学。06年3月修了。同年4月同大学大学院芸術研究科造形表現専攻入学。
ニコンイメージングプレミアム会員
ニコンイメージング会員