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銀座ニコンサロン


ニコンサロン企画展
エドワード・スタイケン写真展
[Edward Steichen Photograph]

6/13(月)~6/25(土)
10:00~19:00
6/19(日) 休館







<写真展内容>
エドワード・スタイケンは1879年、ルクセンブルグに生まれた。当時の生活環境は厳しく、アメリカなどへ移住する家族も少なくなかった。スタイケンの家族もアメリカへ移住し、父は鉱夫として働き、母は帽子縫製の針子として生計を支えた。
しかし、この地で若いスタイケンはリトグラフ、絵画、写真の分野でアーティストとしての才能を開花させ始める。特にニューヨークで、写真を芸術にまで高めることに生涯をかけたアルフレッド・スティーグリッツに出会い、決定的な影響を与えられ、五番街291に借りたスタジオ(「ギャラリー291」)を拠点にした共同作業はスタイケンの創作の源流をなすものとなる。また、ロダン、マティス、ブランクーシ、さらにスティーグリッツの妻である画家のジョージア・オキーフらの芸術家とも交流があった。スタイケンはそうした芸術家たちのポートレイトも撮っていた。
20世紀初頭にすでに、絵画と同等の芸術の一形態として写真を撮っていたスタイケンは、芸術写真の先駆者の一人と後世に名を残すことになった。1955年ニューヨーク近代美術館で「ザ・ファミリー・オブ・マン」展企画開催。その後1964年、母国ルクセンブルグでも同展が開催された。冷戦の中で生まれたアイデアをもとに、68カ国のアーティスト273人による503枚の写真から構成された展覧会である。スタイケンが企画した同展覧会は世界を巡回し、大成功を収めた。スタイケンは芸術写真の先駆者であるのみならず、私たちに平和とヒューマニズムの思想を伝達する哲学者になった。
今回は、ルクセンブルグ国立歴史美術博物館の収蔵作品からポートレイト作品35展を展示する。



<作者のプロフィール>
エドワード・スタイケン
1879年ルクセンブルグに生まれる。81年アメリカに移住。99年「第一回スタイケン写真展」を第二フィラデルフィア・サロンにて開催。1900年パリへ向かう途中、ニューヨークでアルフレッド・スティーグリッツに会う。02年季刊誌『カメラ・ワーク』を創刊。ニューヨークに戻り、五番街291にスタジオを借りる。05年スティーグリッツと共に五番街291に「リトル・ギャラリー・オブ・フォトセクション」設立。06年フランスへ。14年第一次世界大戦が勃発し、妻子と共にニューヨークに戻る。23年スタジオをニューヨークのボークス・アーツ・ビルディングに置く。29年『スタイケン・ザ・フォトグラフィー』を出版。47年ニューヨーク近代美術館(MoMA)写真部門のディレクターに就任、多くの企画展を手がける。52年「ザ・ファミリー・オブ・マン」の準備を始める。55年「ザ・ファミリー・オブ・マン」開催。同展の準備のため、日本、ベルリン、パリ、アムステルダム、ミュンヘン、ロンドンを回る。57年日本光学(株)(現(株)ニコン)から「写真を通して国際親善に多大なる功績」があったことにより、賞を授与される。61年回顧展「スタイケン・ザ・フォトグラファー」開催。イギリスのロイヤル・フォトグラフィック・ソサエティー、日本写真協会、1961年アーツ、イン・アメリカ・アワードから賞を与えられる。62年ニューヨーク近代美術館の写真部門ディレクターを辞任し、名誉ディレクターとなる。MoMA企画展「ザ・ビター・イヤー:1933-1941」展が始まる。63年当時のケネディー大統領がプレジデンシャル・メダル・オブ・フリーダム賞をスタイケンに授与することを発表(賞はジョンソン大統領により授与)。64年MoMAにエドワード・スタイケン・フォトグラフィー・センター開設。65年ルクセンブルグ大公国のメリット爵位の上級勲爵士を授けられる。73年死去。
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