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内野 雅文写真展 [ケータイ 1996―2004]
檜谷 潮幾写真展 [終わらない東京]
吉田 明広写真展 [記憶の地図 ~The wind of Nepal~]
田村 俊介写真展 [LANDSCAPER]
9/30(木)~10/5(火) |
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[ケータイ 1996―2004] |
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<内野雅文展内容>
「ケータイ」は、一つの身近なメディアから情報社会としての現代社会について学ぶためのテキストである。
人々はどんどん「ケータイ」を持って出かけるようになった。この決まりきった動作は、財布や鍵を持って出ることと同じようなものである。少し前までは、私的なことを公の場でさらす行為は恥ずかしい行為だと考えられてきたが、いまでは通りや電車、レストランの中といったパブリックな空間で、ふとした時間、間が出来、落ち着くと手にはケータイを握り締めてメールやインターネットに励む。
ケータイがパブリックなコミュニケーション空間に流入したとき、さまざまなものが見えてくる。電車内でケータイ片手に会話をしている人に出くわしたりすると、まったく他人であるはずの人々の親密な空間を、ふと耳にしてしまうこともめずらしくない。
こんにちでは、誰もが人前で内側の顔を平気でさらしているが、ケータイは明らかに周囲の人々との温度差を感じさせる。その内と外のハザマで、人の無意識、無関心のようなものを、作者は臨場感のあるリアリティを求め撮影した。作者の映像を通じて送るメッセージである。カラー40点。 |
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<作者のプロフィール>
1973年東京都生まれ。1996年東京造形大学造形学部卒業。
写真展に、96年「東京ファイル」、99年「うりずん―沖縄先島」(以上新宿コニカプラザ)、2001年「写真・内野雅文2001」(ギャラリーニエプス)、02年「野ざらし紀行」(銀座ニコンサロン)、03年「空と海への巡礼」(再春館ギャラリー)などがある。 |
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[終わらない東京] |
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<檜谷潮幾展内容>
そこは、砂漠と化していた。何処の話か。一国の都市、東京である。
人は時に都市を砂漠と呼ぶ。しかしそれはおかしな話である。都市が砂漠であるはずがなく、街であり、オアシスであり、システムであり、近代文明の象徴でもあったはずだ。
それでも人は、砂漠と呼ぶ。それは何故か――。
毎日エンドレスに続く機械化された日々に、何ら疑問を抱くことなく流され、あたかもコンピューターのプリント基板のごとく問答無用で稼働し、ただ進むことだけを続けている都市。人々は、何ら本質を知ることなく、今日も機械時間に流されており、それは時代でも計画でもなく、ひたすら無機質に徹している。これが、都市という名を借りた現代人の、我々の姿なのである。
そもそも都市生活を基盤としてきた我々の現代社会は、電源を切ったらただの板切れと化す液晶パネルのように、危うく、薄っぺらいものである。それゆえに人は、都市を砂漠にたとえるのだ。
そこには漫然とモノと人を増やし続けてきた都市と現代人の真の姿があり、我々が知らずしらずのうちに築いて増やしてきた無の羅列が存在している。それは我々現代人のエンドレスの一部品であり、現代時間の欠片でもある。
己がこの世から消えてもなお終わることのない、現代時間の無の一部。
それがこの都市、東京にある限り、人は自ら築いたであろうオアシスを、砂漠と呼び続けることだろう。モノクロ約40。 |
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<作者のプロフィール>
1970年東京生まれ。92年東京写真専門学校(現東京ビジュアルアーツ)卒業後、プロラボに入社。5年勤務ののち退社し、98年6月より1年半、アジア13カ国の放浪の旅をする。99年12月帰国。以後都市を題材にした写真を撮りはじめる。
94年、JPS展「消えゆく街」入選。本展は初めての個展である。 |
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[記憶の地図] |
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<吉田明広展内容>
展示する作品はいわゆる地図――地表の状況を縮尺して平面に表したものだが、より正確に言うならば、作者の考える内面的な大地をペーパー上に投影した地図の断片である。
作品の背景には作者が生まれて育った東京都市という空間が密接に関わっている。時が忙しく流れ、平らな光が街を照らし、人々の顔には表層感が漂う。そしてノドがかわく…。その対比として位置するものが今回の地図と言える。
その中で作者は都市空間と異なった場所で暮らす人々の儚さ、強いては人間だけに与えられた特別な感情というものの偉大さを静かな空気感の中で写真として表わそうとしている。
写真はネパール王国で撮影し、祈り、瞑想、横顔など自然の中で生きるネパールの人々の思想、存在感、そして宗教心が強く感じられるもので構成されている。モノクロ30点。 |
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<作者のプロフィール>
1980年東京生まれ。現在東京工芸大学芸術学部写真学科4年次在学中。 |
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[LANDSCAPER] |
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<田村俊介展内容>
世界はいろいろな偶然によってできている。今日の朝ごはんも、携帯電話の迷惑メールも、なにげなく眺めた風景も。
作者がこの写真を撮り始めたのも偶然からであった。同じ家が三軒並んでいて、そのそれぞれに赤い車が停まっていた。それからその場所が気になり、何度か通るうちに赤い車が3台だけ停まっているのが、それほど確率の高いことではないと知った。
景色は時とともに流れ、一瞬も同じ姿を見せない。まるで無数の演奏者たちによる一度きりのオーケストラのように、アドリブの連続のようでもあり、あるいは指揮者がどこかにいるようでもある。
観客の目線で、時としてリズミカルなその演奏をパノラマに切り取った作品である。カラー約30点。 |
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<作者のプロフィール>
1980年東京都生まれ。2002年日本写真芸術専門学校卒業。
01年、コニカフォト・プレミオ「RUN ACROSS」(コニカプラザ)において特別賞受賞。また、清里フォトアートミュージアムにコレクションされている。 |
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