爆発音とともに巨大なキノコ雲のような噴煙が上がり、噴石が弧を描きながら落ちるのが見える。灰色の雲が空を覆い、集落に火山灰が降り始める。視界がぼやけていき、景色は灰色に塗り変わっていく。
鹿児島県では、テレビやラジオなどの天気予報で桜島上空の風向きを報道し、県民は毎日風向きを確認する。
鹿児島生まれの作者にとって、小さいころから桜島はそこにある風景の一部である。
桜島は鹿児島県の錦江湾(鹿児島湾)の中心にある周囲55㎞の火山島で、活発な火山活動を続けているが、島には約5,000人が暮らしている。火口から4㎞の距離には集落が存在し、1914年(大正3年)と1946年(昭和21年)に大きな噴火が起き、集落は大打撃を受けた。畑や集落は埋没し、島民は避難や移住を余儀なくされた。大正の大噴火では、噴出した溶岩で大隅半島と繋がることとなった。
相次ぐ噴火に見舞われながら、島を追われた人々は幾度となく島に戻り、暮らしを立て直す。今でも噴煙活動は続き、農作物は毎年降灰や火山ガスにより大きな被害を受け、雨の日には水なし川に土石流が流れる。噴石が集落にいつ落ちてくるか分からない中で、それでも生きる人々の故郷への執着心に作者は興味をもった。
年数百回の噴火を数える山の裾野で、火山とともに生きる人々を追った作品である。
カラー約50点。
桜島という、厳しい自然の膝元で暮らす人たちを写した「降灰の島」からは、集落の人のリラックスした様子に、自分も同じ山を見て育ったという山野氏との関係性が見て取れる、とても気持ちのよい写真である。集落の人たちは、おそらく噴火のために幾度も大変な思いをしていると思われるが、皆、とても幸せそうだ。そういった暮らしの存在が、この写真を見る人びとを勇気づける点が、「降灰の島」の魅力である。ただ、幸せな様子が強調されることで、鑑賞者が「大変でも幸せなら良かったね」という感想を抱いて終わってしまうのではない、もう一歩踏み込んだ冷静な観察眼のようなものがあってもよかったかもしれない、と思う。その点を今後に期待する。
1988年鹿児島県生まれ。2012年「工場の少女達」で第7回名取洋之助写真賞奨励賞受賞。
写真展に、09年「十五夜」、10年「COSMO」(以上 ME Photo Gallery/福岡)、12年「工場の少女達」(富士フィルムフォトサロン/東京・大阪、福島市民ギャラリーにて受賞作品展)などがある。