1989年のベルリンの壁崩壊から、30年の月日が過ぎた。「JAPAN IN DER DDR-東ドイツにみつけた三軒の日本の家」は、東ドイツより鹿島建設が受注した三軒のホテルを被写体とした写真作品だ。とりわけ2008年から2013年までを旧東独のライプツィヒに暮らしたわたしにとって、インターホテル・メルクア(現ウエスティン・ライプツィヒ)は、慣れない生活を見守ってくれる先祖のような存在になっていた。
2014年、街に漂う壁崩壊25年の祝賀ムードに泳がされたのか、それまで外から眺めたことしかなかったこのホテルに、初めて宿泊してみることにした。それを機に、わたしは建設資料蒐集のために、ドイツ国立図書館や鹿島建設社史室に通いはじめ、また当時の駐在員やホテルの従業員らと対話を重ねるようになった。そして自分でも写真を撮り、日記を書いた。これはわたしなりの、歴史への問いかけ働きかけの方法で、ある時そのような仕事の痕跡に、自分が受けいれられているような感覚をおぼえた。この建築の気配の正体こそが、わたしが旧東独にみつけた日本の家なのかもしれない。
(飯沼 珠実)
パンデミックにより世界中の都市から旅行客の姿が消えてしまった年であるが、本年度の受賞対象となった展覧会は、飯沼珠実がドイツ民主共和国(旧東ドイツ)に建設された高級ホテルを撮影した作品となった。ライプツィヒ、ドレスデン、ベルリンの3都市に建設された3軒のホテルは、鹿島建設が1970年代に東独より受注したものだ。冷戦期間に日本の建設会社により完成した建築という歴史に興味をもった飯沼は、当時の関係者に会って話を聞くいっぽう、街のスナップを撮ることで都市と自身の接点を見出そうと試みた。また、オーナーを代えつつも今日も独特のオーラを放つ建築を丁寧に写し撮り、5冊のアーティストブックとしてまとめ、これを「Japan in der DDR - 東ドイツにみつけた三軒の日本の家」というプロジェクトとして発表した。
リサーチを重視しそのプロセスも含め作品化するのは現代写真にとどまらず、今日のアートにおける大きなトレンドとも言えるが、飯沼の場合これまで一貫して「家」としての建築、すなわち人間が作り住まう建築の「経験」としての側面に注目してきたことが、本作品の説得力のひとつであろう。プロジェクト自体の発表はベルリンの壁の崩壊から東西ドイツ統一30周年という節目とも重なり、そうした大きな歴史に個人的なストーリーからアプローチする姿勢が、現代写真の方法論として生きていることが了解される。また本作では飯沼自身が暮らしたライプツィヒに、自分の家を見つけ住まう経験も重なっている。建築をとらえる独特の視点は、歴史と日常的経験を柔らかく結び合わせる言語感覚と呼応しており、新鮮である。プリント、タイポグラフィ、デザインを含み、写真を立体的に見せる総合的なアプローチも高く評価され、受賞に至った。
(選評・港 千尋)
1983年、東京都生まれ。建築に詩的な解釈を与え、そこに生じるあらたな言語空間を題材に、建築、視覚芸術とタイポグラフィの領域を横断しながら、写真とアーティストブックの制作に取り組む。2008年から2013年までドイツ・ライプツィヒに在住(2010年度ポーラ美術振興財団在外研修員)。2014年シテ・デザール・パリに滞在。2018年東京藝術大学大学院博士後期課程修了。2020年、版元 建築の建築を設立。現在は東京、ライプツィヒ、パリの三都市を拠点に活動。
個展に「建築のことばを探す 多木浩二の建築写真」トーキョーアツーアンドスペース (東京、2021)、「JAPAN IN DER DDR-二度消された記憶」Kana Kawanishi Photography (東京、2019)、「建築の瞬間」ポーラ美術館アトリウムギャラリー(箱根、2018年)、「建築の建築」六本木ヒルズクラブ(東京、2017年)、「歌う建築を聴く」京都岡崎蔦屋書店、代官山蔦屋書店(京都、東京、2016年)、「三つ目の建築―書籍、住居そして森」POST(東京、2016年)、「JAPAN IN DER DDR」Motto Berlin(ベルリン、2016年)、「FROM LE CORBUSIER TO MAEKAWA」新宿ニコンサロン 、大阪ニコンサロン (東京、大阪、2015年)など。グループ展に「Von Ferne. Bilder zur DDR」Museum Villa Stuck(ミュンヘン、2019年)「Requiem for a Failed State」Auf AEG、Halle14 Zentrum für zeitgenössische Kunst Leipzig(ニュルンベルク、ライプツィヒ、2018年)、「Publishing as an Artistic Toolbox 1989-2017」Kunsthalle Wien(ウィーン、2017年)など。