本展では、群馬県六合村の湖をモチーフに、民話の語りを取り入れながら、人の世界と森の世界のあわい(間)を表現した作品を展示する。
湖は山と村の境界に佇み、昔から山の生き物と村の人間のひやりとする接触の場であった。
湖畔には、動物との奇妙で唐突な接触、水の底や森の陰に住む形の見えないものとのやりとりなど、どこか恐ろしいが取り留めのない民話が漂っていた。
夕闇に落ちていく山の中、獣の光る目を炎と勘違いして、煙草に火をつけようとした男の昔話がある。
キャンプ場には、ダム建設で死んだ幽霊が出るという。
ひとは今も昔も湖畔でさまざまな幻視を経験する。
熊笹をかきわけて暗い森を奥へ奥へと進んでいけば、さまざまな獣の気配を感じるが姿は見えない。
水の反射、葉の揺らぎにさまざまな幻を見て、物語の世界に入っていく。
(清水裕貴)
カラー約20点。
不穏なタイトル、黒く厚い本に書かれた物語、暗い森や湖のイメージと、それらを縁取る影。不安を払拭しようと最後の解説を読んでも、結局わからなさが募る。けれどもそうやって突き放された好奇心は、再び写真の前へ行けとわたしの足を操る。もっと見れば、もう一度見れば、なにかわかるのではないかと鑑賞者を惹きつける力こそ、本作品の魅力である。
「熊を殺す」は、一見するとシンプルな民俗学的アプローチをとった作品なのかと思う。そこで黒い本には当然、作家の言及する「民話」が記されているだろうと思うのだが、書かれていたのは誰かが見た悪夢のメモのような、奇妙な文章だった。また、うつむいたように傾いて、イメージに影を落とす額装は失敗のように見えるが、やがてそれすらもこの作品を、あるひとつの方向へと導く仕掛けのように思えてくる。鑑賞者の期待にそぐわない ずれを、作家はそこかしこに仕掛ける。瑕疵や未熟さ、あるいは手違いとも受け取り可能なそれらの細部が綿密に考え抜かれたものだと確信できるのは、ひとえにこの展示が掛け値なしに美しいからであろう。
作家は「人の世界と森の世界のあわいを表現」したと語っているが、本作品は「わかる」と「わからない」のあわいにこそわたしたちを放り出している。鑑賞後に湧く「もっと知りたい」という渇望は、物足りなさを意味する感情ではなく、あらゆる情報から逃れられない時代において「わからない」こととはなにかを問う、作家の静かな情熱を映す水面である。
(選評・長島有里枝)
1984年千葉県生まれ。2007年武蔵野美術大学映像学科卒業。写真展(個展)に、12年「ホワイトサンズ」(ガーディアン・ガーデン/銀座)、14年「mayim mayim」(NEW ACCIDENT/金沢)、同年同展(UNDO/三ノ輪)、16年「熊を殺す」(Juna21新宿ニコンサロン、Juna21大阪ニコンサロン)がある。13年スライドショー「INDEPENDENT LIGHT」(新宿眼科画廊、東川国際写真フェスティバル)、14年西根ナーレ(山形県長井市)、15年中之条ビエンナーレ(群馬県中之条町)に参加。
受賞歴に、11年第5回写真「1_WALL」グランプリ受賞がある。