作者の父親が遺した日記である。
夫人に先立たれてひとり暮らしを余儀なくされた頃からつけ始め、87歳で逝くまでの20年間、毎日欠かさず書いていた。性格そのままに、小さな文字でびっしりと。
何の趣味もなくこつこつと働いてきた昔式の人間であったから、内容は何をつくって食べたとか、テレビで見た何がどうであったとか、凡庸なものだが、端々にひとりで老いていくことへの不安が漏れ出ていて、だからこそ人に迷惑をかけぬよう達者であらねばと、人一倍健康を気遣っているさまが記されている。
亡くなる2年前、認知症(痴呆症)のこともあって老人施設に入った。本人にとって入所は不本意であったようで、そのときを境に日記は錯乱したものにと変わる。ページは汚され、殴り書きがなされ、偏執的に同じ文言、記述が繰り返されていく。
日記は、父親の脳を襲った嵐のその痕跡なのだろう。人はこのようにして老い、死んでいくと知らされた。遠からず訪れる作者自身の姿を見る思いの作品である。
モノクロ47点。
今回、5人の審査員が各々推薦してきた候補作品は、見事にばらばらだった。それぞれ力強い独自性をもった写真表現は、どれもが受賞に相応しいものに思えた。だが同時に、それらを同じ土俵の上に乗せて論じることは、到底不可能なことのようにも思えた。この「多様性」と伊奈信男賞ひいては「写真」というただ一つの言葉を、どう調停させればよいのかという現代的な問題を共有するところから、議論は始められなければならなかった。その後、二度に亘る再投票と長い話し合いの末、全員の支持は次第に、太田順一氏の「父の日記」にまとまっていった。
認知症を患いながら逝った、氏の父上が遺した数冊の日記帳のページをカメラで複写したこの連作は、私たちに「写真を眺める」と言うよりは「文を読む」ことを強く促し、その点で視覚的な戸惑いを生じさせずにはおかない。だが、文面を目で追っているうちに、綴られた語の流れや文字のフォルムが崩れ始め、やがて苛立ちからなのか、強い筆圧のストロークが痕跡のように描かれ、ついには空白のページが現れるに至って、私たちはこの日記に、身体や時間といった、写真術における基本的な題材が、確かに存在していることを知る。この複写行為の底には、すべての写真が目指す世界の最奥部にある感覚、つまり、人間存在の有限性と唯一性を肯定するためにシャッターが切られるという、あの切実な感覚とまったく同じものが流れている。
「文の複写」と呼ぶと、手法面のみが強調されてしまうきらいがあるが、「父の日記」は、概念芸術に見られるような、形式に対する超越的、批評的態度とはあまり関係がない。むしろこの「複写」作品は、太田順一氏の長きに亘る個人的な写真実践から、内在的に、それ故に思い切って出現しているものだ。そしてそのことは、写真表現者が実践を通して獲得する「自由」の真の意味を、私たちに気付かせることになった。それが、この作品展が今年度の伊奈信男賞受賞に値すると、審査員たちが結論を出した理由である。
1950年奈良県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。大阪写真専門学校(現・ビジュアルアーツ専門学校 大阪)卒業。写真の会賞、日本写真協会賞作家賞受賞。
写真集に『女たちの猪飼野』(晶文社)、『日記・藍』(長征社)、『大阪ウチナーンチュ』(ブレーンセンター)、『ハンセン病療養所 百年の居場所』(解放出版社)、『化外の花』『群集のまち』(以上ブレーンセンター)などがあり、著書に『ぼくは写真家になる!』(岩波書店)がある。