Nikon Imaging
Japan
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第32回(2007年) 伊奈信男賞
北島 敬三「USSR 199」

受賞作品内容

ソ連が崩壊した1991年に、断続的に約150日間滞在して撮影した作品である。
作者が最初に訪れた時点では、数ヵ月後に起こる体制崩壊はまったく予測していなかった。120以上あるといわれる民族の言語、宗教、儀礼を禁止し、核爆弾の地上実験を500回以上行い、家族の中でも密告が行われ、2000万を超える人々が粛清された「収容所群島」とも呼ばれるこの国家が崩壊し、瞬時に冷戦構造が消滅したことは、作者にとって大変な驚きであった。
エリツインはあっさりと自由主義経済への移行を表明し、人々は独立ロシアの未来を語っていたが、一方ではソ連に忠誠を誓って人生の大半を過ごしてきた老人たちがいて、そこに生まれ、そこで死んでいった人たちがいた。
作者はさまざまな人たちの写真を撮りながら、「ソ連という体制が73年間存在したことを忘れてはいけない」という思いを次第に強くしていった。
テレビやインターネットに比べ、写真はすでに「遅いメディア」といわれるが、作者は逆にその「遅さ」に注目する。テレビやインターネットがスペクタクルを提供する忘却のメディアになるとき、写真にはそれに抵抗する記憶物質になる可能性があると思うからである。
消去できないもの、忘れることができないもの、突然回帰して現在という時間を撹乱するものが写真の特質かもしれないが、15年を経て今、初めて旧ソ連の写真を展示することの可能性もそこにあると作者は考えている。

選考理由

作者は、1976年に開催した最初の写真展「BCストリート・オキナワ」(新宿ニコンサロン)以来これまで、問題を提起する写真活動を継続してきた。森山大道氏を中心にして設立された自主運営ギャラリー「CAMP」のメンバーとして参加し、毎月連続しての写真展「東京」を開催すると同時に、『写真特急便 東京』(全12冊)を刊行、そして81年にはニューヨークに滞在し、翌年刊行のスナップショットによる写真集『NEW YORK』で木村伊兵衛賞を受賞している。その後もベルリン、プラハ、ブダペスト、ソウル、香港、パリなど世界の都市に滞在して、写真展「A.D.1991」などを発表、1991年には間もなく崩壊することになるソ連、ソビエト社会主義共和国連邦の多くの共和国に滞在し、数次にわたって撮影を重ねた。
受賞対象となった「USSR 1991」は、この時期に撮影された写真である。当時、雑誌への掲載はあったものの、厳密に構成された作品としての発表は今回の写真展が初めてである。1917年のロシア革命、そして1922年のソ連邦の成立からの69年の歴史が、世界を駆けめぐる連日のニュースのなかであっけなく崩壊するのを前にして、撮影されたばかりのこれらの写真は時を隔てて、来るべきその時を待って発表するべきであると、北島氏はある種の予感と確信をもったようである。16年の時を経て実現された「USSR 1991」は、北島敬三という写真家の30年の仕事とその特質を見事に示した写真展である。
1980年代半ばには前述したベルリンなどの都市に日付を入れた作品を発表し、「A.D.1991」以降は「PLACES」や、白い背景の前に立つ肖像を長い年月にわたって継続的に撮影する「PORTRAITS」のシリーズなど、常に時間と場所について思いをめぐらし、写真と記憶の関係について考えてきた作者の、重要な作品の誕生といえるだろう。

プロフィール

北島 敬三

1954年長野県須坂市生まれ。75年「ワークショップ 写真学校」の森山大道教室で学ぶ。76年森山大道氏を中心に設立された自主運営ギャラリー「CAMP」に、倉田精二らとメンバーとして参加。同年写真展「BCストリート・オキナワ」(新宿ニコンサロン)を開催。79年毎月連続の写真展「東京」(CAMP)を開催し、同時に『写真特急便 東京』(全12冊)を刊行、翌年『写真特急便 沖縄』(全6冊)を刊行する。81年にはニューヨークに滞在し、翌年写真集『NEW YORK』を刊行して木村伊兵衛賞を受賞。その後もニューヨーク、ベルリン、ソウル、香港、パリなど世界の都市に滞在、「A.D.1991」展など、国内、海外での写真展を開催。現在は2001年に開設した自主運営ギャラリー「photographers' gallery」を拠点として、「PORTRAITS」「PLACES」などを制作する。

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