作者はロンドンやローマで行われた反戦デモのなかにあって、15年前に東欧を動かした革命の群衆とは、明らかに違うものを感じた。動員数は多くても、凝集しているという感じがしない。回りを見れば、ほとんどの参加者が携帯電話で話したり、メールをしたり、写真を撮っている。同じ目的のために広場に集まっているのに、どこか他の場所にいるような不思議な感じがする。
写真では色を表すクロームという言葉を使う。クロマチックは「色彩、着色」という意味だが、音楽用語では「半音階」の意味になる。写真にとっての色が音楽にとっての音に相当するなら、その諧調は半音階になる。
不安定で矛盾に満ちた今日の都市には、半音階的表現が似合うかもしれない。カメラにカラーフィルムを入れて、作者は市民の場所を探しはじめた。
作者は1982年にガセイ奨学金(アルゼンチン)を受けて南米各地に滞在。85年からはパリを拠点として写真家、評論家として活動をはじめ、以来これまで拠点を移しながら世界各地を旅し続けてきた。絶え間ない旅という経験の過程で重ねられた思考は多くの著作となり、それは文化人類学と映像論を横断するような独特の文化論・芸術哲学として広く多くの評価を得ているところである。
港氏の写真に特徴的であるのは、旅の中でなにげなく撮られたようなスナップショットの断片が、芸術哲学的思考で語られる「群集」「移動」「記憶」「皮膚」「予兆」「瞬間」「洞窟」といった言葉によって、見えにくいこの不確かな世界が鮮やかな断面や輪郭を持つ魅力的イメージとして生成させるところにある。絶えず変化し続ける言葉では捉えがたい世界を撮ったスナップショットの断片が、言葉を生成させているのだと言い換えてもよいのかもしれない。
受賞作となった「市民の色 chromatic citizen」も、これまでの港氏の作家活動に相応しい、まさにそのような作品である。作者はロンドンやローマで行なわれた反戦デモの中にあって、同じ目的のために広場に集まっているのに、どこか他の場所にでもいるような不思議な感覚を持った。それはかつて15年前に東欧を動かした革命の群集の中に在った時とは明らかに違って感じられたのである。クロームという色を表す言葉は、音楽用語では半音階の意味になり、不安定で矛盾に満ちた現在の都市には半音階的表現が似合うとも感じたのである。旅の中で身体が感じた「記憶」と「予兆」とから生れた、知的営為としての写真展であった。
1960年神奈川県生まれ。1984年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。在学中にガセイ南米研修基金を受け、南米各国に長期滞在。1985年より、パリを拠点に写真家・批評家としての活動を開始。1995年より多摩美術大学に着任、情報デザイン学科教授。
主な展覧会
個展
『赤道』(第一回コニカプラザ奨励賞受賞、1991)、『潜在の書』(ITEM/パリ、1998)、『livre latent』(スロヴェニア国立現代美術館 1999)、『世界の木霊』(愛知青少年公園 2000)、『予兆』(パストレイズフォトギャラリー 2001)、『ひとつの山はすべての山』(爾麗美術2001)、『野生の思考』(東京日仏学院 2001)、『市民の色』(ニコンサロン2005)、『Augustine』(Photographer’s Gallery 2005)
主なグループ展
『現代写真の動向展』(川崎市民ミュージアム 1989)、『はるかな空の下で』(東京都写真美術館 1994)、『影の境界』(モントリオール文化センター 1995)、『建築デザイン会議』(横浜ランドマークタワー 1995)、『移動する聖地』展(インターコミュニケーションセンター、1998)(森脇裕之とのコラボレーションによる複合メディア・インスタレーション《記憶の庭》を出品、同年のマルチメディア・グランプリ(マルチメディア振興会)においてアート部門大賞)、『ネットコンディション』(インターコミュニケーションセンター、2000)、『写真160年記念展』(グラヴリン市立美術館 2001)、『サイトsite/sight』展(東京国立近代美術館 2002)、『傾く小屋』展 (東京都現代美術館 2002)
主な著書
『写真という出来事』(河出書房新社 1998)、『予兆としての写真―映像原論』(岩波書店 2000)、『洞窟へ―心とイメージのアルケオロジー』(せりか書房 2001)、『影絵の戦い』(岩波書店 2005)
主な写真集
『波と耳飾り』(新潮社 1994)、『明日、広場で-ヨ-ロッパ1989-1994 』(新潮社 1995)、『瞬間の山―形態創出と聖性』(インスクリプト2001)、『InBetween France Greece』(EU Japan 2005)
主な映像作品
『知性と感性の調和のために―クロード・レヴィ=ストロース』(2000)、『変身の山』(2002)、『チェンバレンの厨子甕』(2004)
主なコレクション
フランス国立図書館/東京都写真美術館/グラヴリン市立美術館/ニューヨーク近代美術館アーカイヴ