ベトナム戦争のとき解放軍のゲリラは、ジャングルの地の利を得て対するアメリカ軍に応戦していたが、アメリカ軍はベトナムの密林を丸裸にしてしまう枯葉作戦に打って出た。今日では誰もがその毒性を知っているがダイオキシンの製剤を散布するという荒っぽい手口で、ベトナムの密林の多くが無惨にもその生命を奪われた。のみならず、薬害はベトナム人や帰還した米国人双方の身体にも及び、多くの奇形児の出生など核の使用にも似た悲惨な結末をもたらした。中村梧郎は1976年から三度に渡る取材を通して、写真でその非道さを告発したのだった。
1940年中国(北京)生まれ。70年以来、インドシナ、中東、朝鮮、ヨーロッパを特派員として取材。後フリーとなり、カンボジア、アメリカ、ベトナムで取材をする。戦争、あるいは社会変革の動きの中での民衆、環境破壊問題などにテーマを求め、ドキュメント・フォトを追う。日本ジャーナリスト会議奨励賞受賞。 写真集=「環境百禍」「戦場の枯葉財」「この目でみたカンボジヤ」