街中でふとした拍子に目にするネズミたち。彼らはどこに栖み、どんな暮らしをしているのか。そんな疑問から、ネズミたちの姿を求めて東京の街を歩きつづけた。
ネズミたちを撮影していくうちに彼らに対する印象がどんどんと変わっていった。ファインダーの中に映るネズミたちは必死で自らの生を全うしようとしている一匹の小動物だった。
ネズミたちの日常にはさまざまな苦難が押し寄せる。それでも彼らはそこで生きるしか無い。見慣れた東京の街もネズミたちの目線で眺めてみると違った景色に見えてくる。
都心では、なにが必要でなにが不要かは人間のさじ加減で決まってしまう。その中でネズミは真っ先に排除される存在だ。
2020年を迎え、いくつかの街からネズミたちがいなくなった。オリンピックを前に都心の浄化が進んだ結果だ。
これは、誰にも惜しまれず消えていく小さないのちの輝きを捉えた写真展。
(原 啓義)
アニミズムのまなざし
街の中に人知れず暮らす小さな生命。この作品の主人公は、日々の生活ではとうてい私たちの視界に入ってこないあのネズミたちである。カメラアイは、彼らの活動にあわせるように地面すれすれの低視線を保ちつづける。
相手が動物なので自然写真という位置づけになるのかも知れないが、これは、紛れもない”動物のドキュメンタリー”だ。ネズミたちに演出させることなくありのままに撮る。そんな、物語を感じさせる作品群からは、生態を知り尽くすまでに要する膨大な時間と熱い執着心が見えてくる。
しかし、今回の写真の価値は、珍しい生態の一瞬を切り取った作品だけに留まらないように思う。それは、原さんの心の中にあるまなざしの正確さだ。
自然には、2つの見方があるように思う。一つは、外側から自然という小宇宙を眺める視点。もう一つは、小宇宙の中に入って内側から仰ぐ視点だ。外側から自然を俯瞰すると、全体像はよく見えるが、頭ばかりで物を考えるようになって理屈っぽくなる。ふだん私たちが自然だと言っているものは、ほとんどこちらの方であることが多い。自然は、人間のためにあって利用しないと損である、という傲慢な考えもこちらの方だ。
一方、内側から見る自然は、生命を肌で感じることができる。例えば田んぼのカエルに出会っても「おお、お前も生きていたのか。今年も頑張ろうな」という気持ちになる。自然の循環の中に自分も入っていて大地を共有しているという感覚なのである。これは、超自然的なものに関わりをもつという”アニミズムのまなざし”だと言ってよい。
原さんは、どうやら小宇宙に扉を発見してそこを自由に行き来しているようだ。もう一つの視点を獲得した天地を仰ぎながらの撮影。なんと充実した時間の中で得られている作品群なのだろう。
(選評・今森光彦)
<伊奈信男賞 最終選考に残った候補作品は次の通りです>
長沢 慎一郎 写真展「BONIN ISLANDERS ~The Lost 23 years of BONIN ISLANDS~」(2021年5月11日~5月24日、ニコンサロン)
原 啓義 写真展「まちのねにすむ」(2021年6月22日~7月5日、ニコンサロン)
百々 武 写真展「生々流転 Life Eternal」(2021年10月26日~11月8日、ニコンサロン)
<第46回伊奈信男賞 副賞>
ニコン Z 7 II+NIKKOR Z 24-70mm f/4 S
1970年生まれ
<個展>
『ちかくてとおいけもの』2017年11月 銀座ニコンサロン、12月 大阪ニコンサロン
『そこに生きる』 2019年6月 銀座ニコンサロン、7月 大阪ニコンサロン
ほか多数
<書籍>
「街のネズミ」(たくさんのふしぎ 2020年7月号)福音館