実家である福島を撮りはじめて以来、私の視界には遠景、中景、近景という三つの層が形成されるようになる。それは三つの違う次元といってもいいかもしれない。たとえば近景に人間がいて遠景に風景があり、かつてそれらは同じ空間に一緒くたに存在していたはずなのに、あの事故をきっかけに今では放射能という異物によって遮られてしまっている。そしてその目に見えない中景はこの先もずっと私たちと風景の間に居座りつづける。そんな分断された空間を意識するかたわら、六年の歳月を経て最近あらたに気づいたことは、それは人によって時間の感覚が違うということである。速かったり遅かったり、長かったり短かったり、切れ切れだったり、あるいは一挙に溯行して震災以前に戻っていたり…。時の流れが違うということは、あの震災の意味も人それぞれだということであり、むろんそれは福島以外のどの地域の人々にとっても時の概念、そして震災に対する思いは個々に異なるものだろう。ただ現在の福島という空間における目に見えない中景(異物)の存在が、それぞれの時の感覚に特別な影響をもたらしている気がしてならない。
(菅野ぱんだ)
「3.11」から6年あまりが過ぎ、東日本大震災もすでに過去の出来事として扱われることが多くなった。とはいえ、福島第一原子力発電所の事故処理のように、解決までこれから先何年かかるのか分からない問題もある。震災後の状況を細やかにフォローし、表現として投げ返していく写真の役割は、むしろより大きくなっていくのではないだろうか。
菅野ぱんだの「Planet Fukushima」もまた、「震災後の写真」のあり方を問い直す重要な仕事である。菅野は故郷でもある福島県伊達市一帯の撮影を続けるうちに、視界が三つの領域に分断されているように感じてきたのだという。「遠景(風景)」と「近景(人間)」との間に、目には見えない「中景(放射能という異物)」が挟み込まれているのだ。そして同時に、過去—現在—未来という滑らかな時間の流れも、震災という大きな裂け目によって分断されることになる。そのような認識を表現するために、フレームに大小さまざまな複数の写真をおさめ、それらのフレームをさらに縦横に連ねていく展示方法がとられた。それは、観客の固定した視点を揺さぶるとともに、彼女が体験した時空間のズレを共有させるために、とてもうまく働いていた。
展示された写真の中で特に強く印象に残るのは、何度も登場してくる放射線の線量計のクローズアップと、汚染土の処理施設の異様な景観を、上空から俯瞰して捉えたカットである。福島の出来事を特定の地域だけの問題として封じ込めるのではなく、ミクロからマクロまで大きく伸び縮みする視点を設定し、宇宙規模の「Planet Fukushima」のあり方を捉え直そうとしている。まさに伊奈信男賞にふさわしい、渾身の力作といえるだろう。
(選評・飯沢耕太郎)
福島県生まれ
NYU Film Production課程 修了後 2002年に帰国、
以降、ポートレート、ランドスケープを中心に活動
【主な受賞歴と活動】
【主な写真集】
『海、その愛...』(1998)、『南米旅行』(2004)、『パンダちゃん』(2005)、『コパンダちゃん』(2006)(以上リトリモア刊)、『1/41同級生を巡る旅』(2003 情報センター出版局刊 )、『The Circle』(2017自費出版)