超望遠のスタンダード
AI Nikkor ED 400mm F3.5S(IF)
今夜は第五十夜の続きで超望遠レンズのお話をしよう。「超望遠レンズのスタンダード」といわれたAI Nikkor ED 400mm F3.5S(IF)である。
スタンダードと言われるのには2つの意味がある。1つは望遠系レンズを多用するスポーツ写真分野や野生動物写真分野で、400mmという焦点距離が標準的に使われる焦点距離という意味である。遠くから被写体を引き寄せて撮らねばならないこうした分野では、400mmが標準レンズ、200~300mmが広角、500~600mmが中望遠、800mm以上が望遠という感覚で使われている。しかし、このレンズがスタンダードとみなされていた意味はそれだけではない。このレンズとNikon F2との組み合わせが、スポーツ報道など超望遠撮影の標準装備であり、超望遠レンズの一つの基準であったからである。
大下孝一
1964年の東京オリンピックに合わせて発売されたNIKKOR-Q Auto 400mm F4.5をはじめとする超望遠レンズ群は、五十夜に紹介した通り大好評で迎えられ、その後のスポーツ報道の分野でなくてはならないレンズとなっていった。そして1968年のグルノーブル冬季五輪、メキシコシティ五輪と着実にユーザーを増やしていったが、同時にレンズに対する要望も増えてきたのである。その一つは写真を主体にしたグラフ誌紙面のカラー化である。このためモノクロ写真以上に色収差をシビアに抑える必要が出てきた。また当時のカラーフィルムは、モノクロフィルムより感度が低かったため、より明るい望遠レンズがほしいという要望も生まれてきたのである。
これに応える形で生まれたのが1972年の札幌五輪で投入されたNIKKOR-H 300mm F2.8であった。十一夜でも紹介されたこのレンズは、ニコン初のEDレンズを搭載し色収差を低減させるとともに、F2.8の明るさを実現した、まさにカラー写真時代に対応した新世代レンズだったと言えるだろう。このレンズの成功をきっかけに、1976年のインスブルック/モントリオール五輪に向け、望遠レンズのED化を推進してゆくことになる。こうして1975年には、300mm F4.5 ED、600mm F5.6 ED、800mm F8 ED、1200mm F11 EDと4本のED望遠レンズシリーズが発売された。しかしこの中になぜか400mmレンズはなかったのである。
それは、フォーカシングユニットを使う超望遠シリーズのED化とは別に、400mmと600mmのフォーカシングユニットを使わない超望遠レンズの開発を進めていたからである。
フォーカシングユニット方式の超望遠は、レンズのみ交換すれば焦点距離が変えられる、またフォーカシングユニットの交換で中判のブロニカとレンズが共用できるといった優れた利点があるのだが、欠点も抱えていた。それはレンズのサイズや質量である。五十夜でお話しした通り、フォーカシングのユニットを共通で使うためには、各レンズの絞り位置やバックフォーカスを統一しなければならない。やや乱暴な言い方をすれば、600mmレンズを基準にして、400mmレンズは全長をムダに長く設計する必要があるのである。またレンズ鏡筒とフォーカシングユニットの筒を独立して持たねばならないため重量面でも明らかに不利である。結果としてNIKKOR-Q Auto 400mm F4.5はレンズ全長(マウントからレンズ鏡筒先端まで)が464mm、質量が4.3kgという、400mmとしてはかなり巨大なレンズだったのである。当然400mmの小型化/軽量化は強い要望があり、対応は急務であった。
そしてもう一つ操作面で挙げられていた要望がフォーカスリングのトルクであった。当時の超望遠レンズはレンズ全体を移動させる全体繰出しであり、超望遠のような重量のあるレンズを動かすには相当の腕力が必要だったのである。操作性改善のためには、フォーカシングユニットをやめ、専用鏡筒を設計するしかない。こうして400mmの開発はスタートしたのであった。
400mmと600mmレンズの光学設計はそれぞれ、400mmは中村莊一さん、600mmは嵐田和男さんが担当された。中村さんと嵐田さんは、ニコンにおけるズームレンズの開拓者、樋口さんの直系の後輩として薫陶を受け、ズームレンズに精通されていたことがこの画期的なレンズを生むことになった。
このお話を書くにあたって、過去の資料をいろいろあたったのだが、600mmは全体繰出しのままED化され一旦製品化されているのに対して、EDレンズ400mm全体繰出し版は、バックアップに設計検討された形跡が見つからなかった。400mmにおいては不退転の決意で開発が進められていたことが伺われる。フォーカシングユニットを使っては実現できない、フォーカス操作性の改善、小型軽量、大口径化が命題であった。
中村さん、嵐田さんのお二人は、お互いの設計を披瀝しながら設計を進めていった。以前からフォーカストルク軽減のアイディアは温められていたのだが、特にF値の明るい400mmの設計では苦心をされたようである。設計がまとまり図面を出すころには、モントリオールオリンピックの開かれる7月まで1年を切っていた。通常なら試作-試作評価-量産化の手順を踏んで開発されるものだが、このレンズは何としても五輪に間に合わせなければならない。そこで試作と同時に量産化の指示も出され、試作後すぐに量産用レンズの生産を始め、限定生産ではあったが、何とかモントリオールオリンピックに投入することができたのである。まさに綱渡りのような開発であった。
図1にこのレンズの構成を掲げる。3枚構成で全体として凸レンズの作用をする1群と、3枚構成で全体として凹レンズの作用をする2群と、凸接合レンズからなる3群から構成され、真ん中の2群のみを移動させるニコン内焦方式(IF)のフォーカスを行うことで、無限遠から至近まで軽快なフォーカスを実現している。そして先頭の第1レンズと第2レンズにEDレンズを使うことで色収差を低減しているのである。
この内焦方式というアイディアは、レンズに詳しい方なら察しの通り、凸先行のズームレンズが元になっている。焦点距離可変をしなければ、2群の移動をピント合わせに使えるはずで、しかも凸先行ズームで焦点距離変化による性能変化が抑えられるように、フォーカスによる収差変動も必ず抑えられるに違いない。この着想を元に各群の構成を工夫し完成したのがこのレンズであった。全体の配置としては、凸の1群、凹の2群、凸の3群という、トリプレットの構成になっていることで、凸と凹の2群で構成されるテレフォトタイプに比べ、諸収差の補正に有利な構造になっており、F3.5の明るさが実現できたキーポイントである。しかも2群と3群を合成して凹レンズの作用をさせることで、焦点距離に比べてレンズ全長を短くすることができるため、望遠レンズにうってつけの構成となっている。
ちなみに、全体繰出しフォーカスをするレンズでは原理的に収差が変動する。特にF値の明るいレンズでは球面収差が補正不足に変動し、レンズ全長を短縮したテレフォトタイプのレンズでは像面湾曲が大きく変動する。400mm F3.5で採用されてニコン内焦方式では、こうした近距離での収差変動をキャンセルするように2群が移動するので、至近距離でも優れた性能を発揮する。操作性でも性能面でも、全体繰出し方式を凌駕するフォーカス方式なのである。
それではいつものように実写でレンズの描写をみてゆこう。このニッコール千夜一夜物語では、NIKKOR-Q AUTO 400mm F4.5と、どどっと400という2本の400mmレンズを取り上げたが、さすがはEDレンズである。開放から格段にクリアで鮮鋭な描写を提供してくれる。前者2本は、逆光時や明暗差の大きい被写体では、エッジの紫の縁取りやコントラストの低下が気になることがあったが、このレンズでは色収差が気になることはなかった。
作例1は、夕暮れに羽根を休めるセイタカシギの群れである。400mmは超望遠の中でも短い焦点距離ということもあり、こうした引きの写真を撮るのに適している。この作例では、後ろの鳥があまりボケすぎないように、F8まで絞り込んでいる。
作例2はそのセイタカシギの飛翔写真である。フォーカシングユニットを使うNIKKOR-Q AUTO 400mm F4.5では、その重さや全長やフォーカスの重さから、とても手持ちで鳥の飛翔写真など撮る気にならなかったが、小型軽量になったこのレンズでは手持ち撮影も容易だ。また、フォーカストルクが非常に軽いため、指1本でピント調節が可能なのがありがたかった。絞り開放で撮影したので、前後の鳥がかなりボケてしまった。感度を上げて絞り込んで撮った方がよかったのだろう。
作例3は絞り開放でのカワセミの写真である。水に阻まれ400mmではここまでしかアップにできなかった。このあたりが「超望遠の標準レンズ」といわれるゆえんで、まわりの景色も含めてフレーミングする必要があるだろう。
作例4は、絞り開放で撮影した桜並木である。超望遠ならでは圧縮効果と、大口径レンズの浅いピント面で手前の桜の枝がぐっと浮き出てきている。
作例5では、満開のシダレザクラをアップで撮影してみた。花の撮影というとマイクロレンズというイメージがあるが、寄って撮れない高木の花の撮影では望遠から超望遠レンズが活躍する。大口径レンズなので背景もボケて被写体を浮かび上がらせてくれる。ただボケが少し硬めの印象があるかもしれない。それは、全体繰出しのレンズでは近距離で負の球面収差が発生するため、後ボケがなめらかになるのに対して、内焦方式の場合、近距離でも球面収差の変動が抑えられているためである。
作例6はさらに接近して、ほぼ最至近で撮影した梅の花である。最至近でも破綻のない描写がおわかりいただけるだろう。
作例7は河川敷に群生するダイコンの花である。大口径で大きなボケが得られるこのレンズで撮ると、前後の花が大きくボケた幻想的な写真を撮ることができる。この作例からも、前ボケがやや柔らかく、後ボケがやや硬いこのレンズの特徴が見えている。
五十夜でフォーカシングユニット付き400mmを使い、今回400mm F3.5を使って、当時のスポーツや野生動物フォトグラファーの気持ちを追体験することができた。三脚前提で取り回しの難しかったかつての超望遠から、この手持ちも可能な400mm超望遠を握った時の驚きと感動は大きかったに違いない。そして、F3.5という明るさが絶妙で、ファインダーの見やすさとサイズのバランスがよく、ピントの歩留まりも非常によかった。こうしたことも含めて超望遠のスタンダードレンズと言われていたのだろう。モントリオールオリンピックでのデビューを飾ったこのレンズは、またたく間に超望遠のスタンダードレンズとして普及し、そして多くのフォトグラファーに信頼され、感動的なスポーツの一瞬や、美しい野鳥やたくましい野生動物の素晴らしい写真をわたしたちにもたらしてくれた。
1994年、中村莊一さん、嵐田和男さん、林清志さんの3名は、このレンズをはじめとするニコン内焦方式超望遠レンズの発明によって、発明協会会長賞が授与されている。それは、ニコン内焦方式がここで紹介したレンズだけでなく300mm F2.8 ED(IF)(1978年)、800mm F8 ED(IF)、1200mm F11 ED(IF)(1979年)、200mm F2 ED(IF)(1982年)、600mm F4 ED(IF)、300mm F2 ED(IF)(1984年)、400mm F2.8 ED(IF)(1986年)などへと受け継がれ、多くのフォトグラファーに愛用され続けてきたことの証である。そしてこれからも素晴らしい映像を記録してくれることだろう。