Nikon Imaging
Japan
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新宿ニコンサロン 2014年12月

斎藤 純彦写真展

写真
Milestones
11/25 (火) ~12/1 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

場所はいつも気にしている。気にしていても気付かないから余計に気にしている。
地図に引かれた線上で実地の風景が一変することは無く、街はいつも緩やかに繋がっている。

今自分が住む場所は、40年以上前に丘陵地帯の森林を切り開いて造成された街。ニュータウンや郊外といった言葉もその範囲の拡張と共に外側に去っており、場所が抱えた履歴も少しずつ朽ちて行く日常に埋もれ気に掛けることも無い。

自らが曖昧に引いた線の中で、ただ記録することを繰り返す。それによって立ち現れる里程標が指し示す、自分がどこにいるのかということを確認する作業として。  (斎藤純彦)

モノクロ45点。

作者のプロフィール

斎藤 純彦(サイトウ ヨシヒコ)
1973年北海道生まれ。日本写真芸術専門学校報道科自主卒業。2002年度ヤングポートフォリオ作品収蔵(清里フォトミュージアム)。13年より金村修ワークショップに参加。

第39回伊奈信男賞受賞作品展
金村 修写真展

写真
Ansel Adams Stardust (You are not alone)
12/2 (火) ~12/8 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

写真

コンデジや携帯カメラ、iPhoneにスマホで大量に写真が撮られているこの時代に、写真の希望なんてどこにあるのだろうか。プリントもされずにデスクトップの中で陽の目を見ることもなく垂れ流しのまま朽ち果てるデジタル写真の山。見ることもできなければ、その片鱗すら感じることもできない不可視のデータの残骸に、フィルムがトラッシュな残骸の山を同期させてくる。
音楽評論家が、ラ・デュッセルドルフのレコードを塩化ヴィニールの無駄遣いと評したように、価値があるのか無価値な屑なのか、判断不能のごみの山を確信的に築くことだけが未来の写真の希望なのだ。
無駄のないフレーミング、黄金比で分割された構図、美しく再現された質感、モノクロのトーンが階調豊かに表現されたバライタ紙に、未来の写真のごみの山が侵食し、その美しい写真の表層に不可視のごみの縄目を刻印する。写真は美しくもなければ汚くもない。ただ薄汚い即物的な汚れがあるだけだ。
汚いという小手先のリアリズムは、現実に嘲笑される。汚さは結局リアリズムの概念に回収され、美意識の回路に組み込まれるだろう。美しさは無限に増え続ける写真の山の中で窒息させられ、その無残な姿を額装されて公衆の面前で辱しめを受ける。未来の写真は美しさの扉を激しく叩き、美しさにうめき声をあげさせるだろう。
写真は性的快感を廃棄し、不能を肯定するボストン絞殺魔。犠牲者が死んでいく過程になんの想像力も持たずに即物的な興味と観察による絞殺を実行する。着飾って美しく仕上げられたプリントに対し、脳腫瘍で鬱血した顔すらもきっちり階調を出す非情のゾーンシステムのリアリズムでトラッシュなアンセル・アダムスになることを未来の写真は希望する。  (金村 修)

授賞理由

私たち選考委員は、金村氏の写真に対する同時代的な問題意識を前景化した展示行為の高い批評性に着目し、本展を本年度で最も優れた展覧会であると認めるに至った。
自己同一的な完結性をいっさい認めない金村氏にとって、すべての写真が始まりも終わりも無く広がり連なっていることは自明であり、「Ansel Adams Stardust (You are not alone)」という表題のこの展覧会も、その例外ではない。
しかし、この展示には少しばかりユニークな点も見受けられた。たとえば、汚れた余白を断裁せず自身の暗室から何も手を加えずに直接会場に持ち込んだ結果、展覧会場と個人の作業場とが地続きになってしまった印象が生じている。これは、暗室制作から展示発表という次元への不完全な転送だったと言えるのではないだろうか。展示されたプリント自体もすでに、フィルムから印画紙への不完全な転送の結果となっている。さらに、ホワイトキューブには不釣り合いな向きのある高密度な都市景観の写真が連なった壁面上に、解読不能な文字列も置かれていた。これは写真と文字の記号的な差異を解除しているのではなく、単に文字列の場違いな場所への配置が目的だったのではないだろうか。こうした物質とイメージの権衡に割り込む誤送や誤配が、金村氏の確信に基づいていることは言うまでもない。
Ansel Adamsにとって、すべてのトーンを完璧にコントロールできるゾーンシステムにより、先住民の聖地シェラネバダ・ヨセミテ渓谷を我が理想郷として写真に描き出すことが唯一の希望だったとすれば、すでに写真がナルシス達の玩具として十分に普及し、そのオーラが消失した現在においては、あらゆる局面で写真のディストピアを積み上げることだけが残された希望なのだろうか。少なくとも金村氏は、そのことに留保を付けてはいない。
一見、過剰なエクスプレッションにも見えるこの展覧会が私たちを怪しく魅了してやまないのは、じつは私たちの写真イメージに対する不和と葛藤が幾重にも織り込まれた、ディストピアをめぐる誤送と誤配のドキュメンタリーだからなのだ。

作者のプロフィール

金村 修(カネムラ オサム)
1964年東京生まれ。93年東京綜合写真専門学校研究科卒業。97年日本写真協会新人賞、第13 回東川町国際写真フェスティバル新人作家賞受賞。2000年第19 回土門拳賞受賞。
著書多数。主な写真展に、(個展)93年「Crashlanding in Tokyo's Dream」(銀座ニコンサロン)、95年「Tokyo Swing」(Yoshii Gallery/ニューヨーク)、00年「土門拳賞受賞記念展Black Parachute Ears 1999」(銀座ニコンサロン)、05年「Chinese Rocks」(ツァイト・フォト・サロン/東京)、13年「金村修展─ヒンデンブルク・オーメン」(photographers' gallery/東京)、(グループ展)92年「第3 回ロッテルダム写真ビエンナーレ Waste Land from Now on」(ロッテルダム/オランダ)、96年「New Photography 12」(ニューヨーク近代美術館)、03年「日本写真史展」(ヒューストン美術館/米国テキサス州)、04年「アルル国際写真祭」(アルル/フランス)、11年「JAPAN TODAY」(AMADOR GALLERY/米国ニューヨーク州)などがあり、作品は横浜美術館/ニューヨーク近代美術館/東京都写真美術館/東川町文化ギャラリー/東京国立近代美術館/土門拳記念館/ベネッセコーポレーション/ヒューストン美術館/福岡市美術館/サンフランシスコ近代美術館/シカゴ美術館にコレクションされている。

juna21 三木淳賞奨励賞受賞作品展
池上 諭写真展

写真
目の前の山
12/9 (火) ~12/15 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

山に入る。いつもとは違う色、光、空気に囲まれている緊張感とその解放感で、作者は全身が妙に高揚しているのを確かに感じる。
数えきれない山靴で踏み固められてきた深い道を、荒い呼吸で登ってゆく。見上げる先に遮るものは何もなく、空が近くとも遠くとも見てとれる。
地図を広げてそれぞれの山を望み、思いを馳せらせたりもするが、ファインダーのなかでは、奥に見えるのが名高い山で、手前に見えるのが名も無い低山であるなどという境は消え去り、遠くからは決して見ることの出来ない目の前の山の様相に思わずシャッターを切る。それは登攀中も下山中も登頂した瞬間でさえも変わらない。どんな山へ入ろうとも麓に下りるまで、ひとつの山色としてただ感じるだけである。
“山岳写真”といわれるような自然の雄大さや力強さのある写真とは一線を画した山写真である。
カラー45点。

授賞理由

おそらく、かなり険しい場所で撮っているのだろうと思われる写真でさえ、いわゆる山岳写真に感じることがあるような、どうだすごいだろう感がないのが、「目の前の山」の面白さだと思う。登らないもの、あるいは登ることができないものを、ときに突き放す「あの写真」はない。どの風景もとても美しく、かといって美しすぎない、いい塩梅なのである。
しかし、その場にいるものが享受する全方向的な美しさを、写真は表現しないことを、われわれ写真家は知っている。少し厳しい意見だが、そこに一度も行かない鑑賞者にとって、これらの山の写真がどういうものであり得ると作者が考えるのか、という観点を、もう少しストレートに投げかけてほしかったと思う。その点を今後に期待する。

作者のプロフィール

池上 諭(イケガミ サトル)
1984年神奈川県生まれ。2010年東京造形大学卒業。卒業後はフリーで活動している。
写真展に、13年「SLOUGH」(コニカミノルタプラザ)、14年「羊蹄の西庭」(gallery 福果)、グループ展に14年「NODE」(アイデムフォトギャラリー・シリウス)、「NODE vol.2」(目黒美術館区民ギャラリー)がある。

juna21 蕭 又滋写真展

写真
列車プロジェクト -台湾
12/16 (火) ~12/22 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

本展は、一人の個体が人群にいる時に最も無防備な表情を撮影した作品である。
このシリーズでは、作者はできるだけ駅構内や踏切など人の混雑するところを避け、線路に隣接する人気のない場所から撮影した。
高速で走り抜ける列車の窓をフラッシュで連続撮影し、乗客の表情を捉える。このような撮影方法は、客観的視点から、列車の種別の相対的な違いによって示された空間や社会的効果を研究する意味もある。
乗客たちの奇妙な姿勢や眠い表情は、作者に無意識や夢などの心理学的な精神状態を連想させた。
なお作者は、本展開催のため写真を整理し、解読するプロセスを通じて、列車のような公の場所で生じる空間性や台湾列車の文化性などの問題を示唆することができ、一人ひとりの表情より、列車の中にいる人々の関連性や状態の類似性などの問題に着眼しようとしている。
また、人間は個人主義の枠のなかでは、かえってより他人と交流することを強く求めていくという欲望があるように思っている。  カラー58点・モノクロ1点。

作者のプロフィール

蕭 又滋(Arron Hsiao)
1980年生まれ。2004年国立中山大学卒業(電気工学専攻・修士)。11年視丘写真芸術学院卒業(台北)。12年写真新世紀佳作、第7回写真「1_WALL」ファイナリスト。
写真展に、11年「雨傘」(個展:視丘写真芸術学院/台北)、12年「小徑」(グループ展:ガーディアン・ガーデン/東京)、「列車計畫」(グループ展:東京都写真美術館)、13年「星體的殞落」(個展:八樓當代藝術中心/台北)などがある。

齋藤 利江写真展

写真
鮮やかなモノクローム -昭和30年代の暮らし-
12/23 (火) ~12/29 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

「将来は写真家になりたい」と中学生の頃から思っていた作者は、どこへ行くにも片時もカメラを離さない程写真に熱中していた。
高校卒業を間近にしたある日、作者の父親が病に倒れ、進学の道を閉ざされてしまった。また、20歳の時にはそれまで撮り溜めていた写真のネガを父親に処分され、写真家になる夢を諦めざるを得なかった。
それから幾星霜。人生の大きな曲がり角に立っていた60歳の誕生日に、なんと捨てられたと思っていたネガが偶然見つかった。父親は処分せず、大切に保存していてくれたのであった。
40年ぶりに再会したネガは、あたかも亡き父親からの贈り物のようで、失意の底にあった作者に、生きる勇気を与えてくれた。
あの日から早くも15年の歳月が経った。めまぐるしく移り変わる現代を生きていくのが精一杯だが、これらの写真を見返すと当時のことが愛おしいほどに懐かしく思い出され、また、昭和を生きた人々の心意気や暮らしが、作者の心に鮮やかに甦った。
展示する作品は、撮影した当時は当たり前のことであっても、今はなくなってしまった“暮らしの光景”である。  モノクロ67点。

作者のプロフィール

齋藤 利江(サイトウ トシエ)
1939年群馬県生まれ。写真好きの父の影響で10歳よりカメラを始め、各種の写真コンテストで入賞。プロの写真家を目指すが、父の病のため断念してカメラ店を開業し、写真を続ける。
2001年(平成12年)銀座ニコンサロンで開催された初の個展「わらべうた」が評判となりNHKに出演。それ以降国内各地および海外でも写真展を開催。現在「月イチ三丁目の夕日」(小学館)に、毎月写真とコラムを連載中。
日本写真協会(PSJ)、日本写真作家協会(JPA)会員。
HP http://www.gallerynishiki.com

12/30 (火) ~1/4 (日)
年末年始休館
ニコンイメージングプレミアム会員
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